土佐の大偉人 無人島長平

無人島 長平



こうあだ名される土佐の偉人がいます。


東洋のロビンソン・クルーソーとも言われていますな。



その銅像が香我美駅にありました。


以前は国道沿いにあったのですが、移したようですな。


なお、この銅像、発砲スチロールでできていて、
土佐の誇る技術でもあります。

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まあ~、とにかくすげ~人生を送った人で、
僕は今でもこの人の人生を想像することができません…



どんな人なのか?

はネットを調べてください。概要は下のとおり。










■1785年(天明五年)長平24才の正月29日(現3月9日)赤岡浦から藩米250俵を積み5人乗り組みで出港。田野浦、奈半利浦で米を降ろす。親方儀七は陸路をとり4人乗り組み帰航の途につく。(赤岡~奈半利は37km)


■30日午後6時頃、手結浦沖で大西風(春一番か?)に遭い東南方向へ漂流が始まる。
(手結~赤岡は車で10分の距離)


■2月14日午前5時頃 鳥島 に上陸。他の3名は1年7ヶ月のうちに次々に死亡してただ一人の孤独な生活が始まる。


■主食はアホウ鳥の肉・卵、魚貝、草木の実であったがすべて生食いであった。雨水は卵殻にためた。衣服は鳥の毛。


■1年5ヶ月後大阪亀次郎の船(12人)が漂着。その1年後薩摩船(6人)漂着。4年半後に生還のための14人で造船に着手。流木の採取や道具造りなどし3年後に完成。後から漂着する者の為生活方式を板切れに記録。


■出航したのは1797年6月、上陸してから実に12年4ヶ月後であった。航海6日後青ケ島(人家九戸)上陸。24日滞在し八丈島着。島役人の取り調べを受ける。8日出航。その後江戸経由で13年ぶりに郷里に帰る。


■藩主より「野村」の姓を賜り禄を得て士族となる。各地の有力者に招かれ、体験談を語る。無人島長平とあだなされ、妻帯、子も産まれるがこの間の生活は定かでない。1821年(文政4年)4月8日六十才で死亡。


■ジョン万次郎が鳥島に漂着したのは、長平が帰国して43年後である。ちなみに万次郎の鳥島滞在は143日間。


■鳥島への漂着事例 : 生還15件108人 (うち土佐人6件35人)  未帰還者は不明だが相当数いると思われる。3名で20年以上すごし生還事例もあるが、たった一人の生活を生食ですごした期間の長い長平の事例は特異であろう。


■平成10年(1998)は長平が生還してちょうど200周年にあたる。この記念すべき年に、長平を顕彰し、長平を世に出し、長平に学び、長平を後世に伝えることは現代を生きる者達の責務と考える香我美町の人達によって建立された。
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by the_naked_lunch | 2007-06-29 00:04 | ああ、香長平野 | Comments(0)

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